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うすうす感じる変化

 東京は人が多い。なにか買い物をしようとすると繁華街へ出かけてゆくからなおさらかもしれない。電車の乗り降り。新宿南口の甲州街道口、渋谷のハチ公口、人の流れが交差してしまう場所が多いからなのか、人にぶつからずには歩けない。ゆっくり歩けばいいのかというとそうでもない。

京都ではほとんど人にぶつからない。人口密度が低いということとは別に、あまり人の動線が交差するところがないからかもしれない。また、駅が少ないからかもしれないし、混雑するようなところにあまり行かないからかもしれない。
 
 東京は思っている以上に広い。交通の便がよいため、うまくすれば大変短時間で移動できる。しかし、実際は乗り遅れたり、、電車が止まっていたり、混雑していたりして思うように進まない。その結果走ることになる。そうすると勢いぶつかることが多い。

 以前はこんなに人にぶつからなかったように思う。他にも以前に比べてこんなはずじゃなかったと思うことがある。
 しかし、とりたてて言うほどの変化でもなく心の床下に降り積もってゆく。そういうことの積み重ねで状況は大きく変わってくる。
 
 40代という年齢はそのふり積もった積雪がある程度見えてくる年齢なのだろうか。なんとなく以前と違うということが多く感じられるのも成人して20年も経つとだいぶ見えてくるからなのか。
 街の歴史も少し見えてくるようになり、テレビなどで見る俳優やタレントの顔もどことなく全体的にしわが多くなったような気がする。20年前の映像と比べるとはっきりわかるが、比べなければなんとなく世の中全体が老けたように感じられる程度だ。

 二世議員や二世タレントが目立つ。中小企業の二代目というのも目立つ。これは、戦後60年たち、2世代が過ぎたからなのだろうか。世の中が長期に安定すると、仕組みが洗練され高度に管理された社会になる。つまりあまり変化しない社会になる。

 現代は激動の時代であるが、一方で変化していないものもある。そのように感じられるのはまだ40代だからなのかもしれない。80代の人は戦前と戦後の両時代を生きているわけだから、もっと大きな変化が見えているのかもしれない。最近、戦前の日本の情報が足りないのではと感じることがある。

今の持続しない経済社会を救うには代替エネルギーではなく、今のような便利を志向する生活態度ではない方向へ進まなければいけないのではないかという考えがある。それは、一つには便利の反対の不便な生活であろう。

何が便利になり何が不便になったか。

 少しずつ変わっているものをもう少し良く見つめてみたい。こうしたことが歴史に目覚める下地となっているのかもしれないが。
| つれづれ | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
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