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根本中堂-見たことのない空間
比叡山延暦寺根本中堂

大晦日である。

先日ついに比叡山に行ってきた。

先週京都に初雪が降ったが市街地には積らなかった。しかし、比叡山はうっすら白くなっていた。その雪がまだ残る中比叡山延暦寺に行ってきた。
比叡山延暦寺についての前知識は、私が参加しているモノ学・感覚価値研究会の鎌田先生の東山修験道記くらいのものだった。それで根本中堂を目当てで雪の中を訪ねた。

諸堂の屋根に積もった雪が、ときどきどさっと落ちていた。

根本中堂は、予想に反して少し下がったところにどっしりと立っていた。

靴を脱ぐと冷えた板の間が足に冬を伝える。正月前のこんな季節に人はまばらだった。

回廊を行くとやがて本堂にたどりつく。そこは太い列柱がならんでいて、ところどころあいた開口部から闇が見えている。

闇に眼を凝らすと読経が聞こえてくる。

やがて、奥の空間が感じられ、仏像や薄暗い灯篭が見えてくる。床は重厚な石である。全体に密度感のある空間が感じられる。

こんな空間はこれまで見たことがない。
日本ではないような感じもするがかといってエキゾチックでもない。
手前の空間からのぞく奥の闇空間の光の感じが絶妙である。
薄い作務衣の僧侶が作業をしている。

寒さが空間を一層ひきしめていた。

ここまで来たかいがあったと思った。



延暦寺のいたるところに「一隅を照らす」と書かれていた。この言葉に大変ひかれた。

かつて、暗いあかりをテーマに、何人かの照明デザイナーやプロダクトデザイナーが集まって行なわれた暗いあかり展シリーズの最初の展覧会のためにデザインしたものにダークマンという作品がある。手足の関節が自在に動く木製人形の頭を電球にしたものである。

私たちの親の時代は灯火管制の反動か、闇を嫌い、蛍光灯を普及させた。特に部屋の隅が薄暗いのが気になるようである。そのため、部屋の隅まで明るくなるように強い光源(蛍光灯)を部屋の真ん中、あついは天井いっぱい配置する。
しかし、なにもむりやりすべてを明るくしなくても、部屋を暗くしたままでも隅だけ明るくすれば特有の薄暗さが消えるのではないか。逆に、気づきにくい隅っここそを明るくすることが重要ではないだろうか。

そんなことから隅っこだけを照らすダークマンをデザインしたのである。

一隅を照らすという言葉を見てそんなことを思い出した。

今日は大晦日である。まもなく新しい年を迎える。




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