2012年
JUGEMテーマ:アート・デザイン


photo by Takumi OTA

| つれづれ | 02:54 | comments(0) | - |
人類の知の遺産 ダ・ヴィンチ


9/11先週に引き続き東京自由大学関係。人類の知の遺産「ダ・ヴィンチ」。
そうレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452 - 1519)である。講師は、僕と同じ京都造形芸術大学の水野千依先生。
しかしただ聞きに行ったのではなく、なんと鎌田先生のかわりの司会を務めることに。
代理ではあるが法螺貝は吹けないのでオカリナを吹きました。
水野先生は、実は同い歳で同じ90年代にイタリアに住んでいたという何かとご縁のある方。

 ダ・ヴィンチは実は仕事が遅く、仕事を完成させない移り気なところがあると知りなんだかほっとしてしまった。
僕の理解では、近代的意識を背景とするプロダクトデザインの一つの源流はルネッサンス期にあると考えているので、この時代をもっとよく知りたい。

 今回は、ダ・ヴィンチを通してルネッサンスについての視野を広げたわけだけど、知れば知るほどもっと知りたくなるルネッサンスという時代である。
水野先生は本当はダ・ヴィンチではなくルネッサンスの専門だそうで、終末論的預言文化やイメージの地位などのお話をまた聞いてみたい。
| つれづれ | 01:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
意匠展


意匠展カタログ


六本木AXISで母校千葉大学工業意匠学科の卒業制作展が行われている。
もっとも現在はかつてのように工業意匠学科ではなく、デザイン工学科という名称になっている。それも数年後には、デザイン学科になるそうだ。

現在行われている京都造形芸術大学の卒業制作展との違いに少し驚いた。

出展学生の数はそれほど変わらないのに、AXISは京都の何分の1かの小さな空間での展示である。そのためか作品そのものというより作品の一部、概要といった感じの展示であった。

しかし凝縮感は空間のためだけではなく作品の性格にもよるようだ。多くの作品が、論作と呼ばれ、作品単体ではなく合理性を重視した論文つきの作品で、一定の手続きを明示した研究という性格も強い作品であった。

空間演出デザイン学科のテーマがtripであるのに対し、千葉大学のテーマは、爆発であった。

AXISの限定された空間にたくさんの作品が押し込められたエネルギーが爆発すると、空間演出デザイン学科の蛇行する空間に連なった展示のようにtripとなって、ゆらゆらと飛躍していくというイメージが浮かんだ。



| つれづれ | 13:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
trip 空間演出デザイン学科卒業制作展

takasago&fuma



・floaral pigments collection : eriko ohgami
・inasen brothers : hikaru takasago,yosuke fuma
・kankaku jogi: chiaki makino



京都市美術館で京都造形芸術大学の卒業制作展が行われている。
搬入・設営のざわめきを経て、きれいに片づけられた空間での展覧会が始まった。芸術とは掃除であると改めて思った。

クリップスポットながら照明も当てられ、ベーシックながらパーティションで構成された空間に配置された作品群は、雑然とした教室で無造作に説明された作品の断片でしかなかったものとは別のものに感じられた。

歴史あるその美術館はやや古びた空間ではあるが、重厚かつ大きな空間で、ゆったりとしたスペースを与えられての贅沢な展示であった。

とりとめもなかった作品が互いに共鳴し、どこにもないような一つの幽かな空間を作っていた。

一人ひとりの個性にはじめて会った気がした。
| つれづれ | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
うすうす感じる変化

 東京は人が多い。なにか買い物をしようとすると繁華街へ出かけてゆくからなおさらかもしれない。電車の乗り降り。新宿南口の甲州街道口、渋谷のハチ公口、人の流れが交差してしまう場所が多いからなのか、人にぶつからずには歩けない。ゆっくり歩けばいいのかというとそうでもない。

京都ではほとんど人にぶつからない。人口密度が低いということとは別に、あまり人の動線が交差するところがないからかもしれない。また、駅が少ないからかもしれないし、混雑するようなところにあまり行かないからかもしれない。
 
 東京は思っている以上に広い。交通の便がよいため、うまくすれば大変短時間で移動できる。しかし、実際は乗り遅れたり、、電車が止まっていたり、混雑していたりして思うように進まない。その結果走ることになる。そうすると勢いぶつかることが多い。

 以前はこんなに人にぶつからなかったように思う。他にも以前に比べてこんなはずじゃなかったと思うことがある。
 しかし、とりたてて言うほどの変化でもなく心の床下に降り積もってゆく。そういうことの積み重ねで状況は大きく変わってくる。
 
 40代という年齢はそのふり積もった積雪がある程度見えてくる年齢なのだろうか。なんとなく以前と違うということが多く感じられるのも成人して20年も経つとだいぶ見えてくるからなのか。
 街の歴史も少し見えてくるようになり、テレビなどで見る俳優やタレントの顔もどことなく全体的にしわが多くなったような気がする。20年前の映像と比べるとはっきりわかるが、比べなければなんとなく世の中全体が老けたように感じられる程度だ。

 二世議員や二世タレントが目立つ。中小企業の二代目というのも目立つ。これは、戦後60年たち、2世代が過ぎたからなのだろうか。世の中が長期に安定すると、仕組みが洗練され高度に管理された社会になる。つまりあまり変化しない社会になる。

 現代は激動の時代であるが、一方で変化していないものもある。そのように感じられるのはまだ40代だからなのかもしれない。80代の人は戦前と戦後の両時代を生きているわけだから、もっと大きな変化が見えているのかもしれない。最近、戦前の日本の情報が足りないのではと感じることがある。

今の持続しない経済社会を救うには代替エネルギーではなく、今のような便利を志向する生活態度ではない方向へ進まなければいけないのではないかという考えがある。それは、一つには便利の反対の不便な生活であろう。

何が便利になり何が不便になったか。

 少しずつ変わっているものをもう少し良く見つめてみたい。こうしたことが歴史に目覚める下地となっているのかもしれないが。
| つれづれ | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
AUGURI
耳を澄ますと闇の濃い京都盆地のあちこちから除夜の鐘が幽かに聞こえてきた。

あけましておめでとうございます。
| つれづれ | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
Babbo Natale

 今はクリスマスの最も中心的な時間帯だろう。東方の三博士が星を頼りに訪れたように、クリスマスには静かな夜が似合う。そして雪が似合う。

 しかし、なぜこのイベントはこれほどまでに多くの人々に受け入れられるのだろう。特に宗教色の薄い人々に強く効くようである。商業的に利用しやすいから、ギフトの口実にしやすいから、慣習化しているから、聖なるものにつながっているから・・・どの理由もしっくりこない。

 一方、子を持つ親にとってサンタの存在は大きい。小さな子どもはサンタを通してクリスマスにであう。これほど多くの子どもとそれに関連する大人がその存在を共有しているという事実がすごい。
 
 大人にとってサンタの意味合いは子供が幼年期か少年期化によって大きく変わる。
 それは子供の中にまどろむファンタジーに大人が捕らえられた時自然に始まり、やがて子供が成長すると大人は、そのファンタジーを(大人が考える)現実と結びつける態度を迫られる。

 私にとっては、それが嘘か本当かという次元を超えたところにその答えの糸口があるのではないかと考えるようになってきた。
 クリスマスというイベントへの思いは次第に弱くなっているが、冷たく澄んだ夜空の遠くの鈴の音だけは、心の奥深く耳鳴りのように響いている。
| つれづれ | 03:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
このサイトを作ってくれた方
おーららさん design by Kanbayashi>
このサイトを制作してくれたのは、GARANDESIGNの中村さんです。


中村さんのブログでコメントいただきました。

おもちゃに関してはなにかと思いがあって、いまでも少しずつこどものおもちゃを作っていますし、ワークショップでも気づけば2回もおもちゃをテーマにやっています。

最近ジャパンデザインネットにアップした連載記事もそのワークショップのことでおもちゃに関することです。ごらんください。
| つれづれ | 01:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
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